「京の木工芸」は、指物、彫物、曲物、挽物、箍物等を包括し、伝統的工芸品「京指物」として、経済産業大臣指定をうけています。

 表情豊かで多様な製品

 
京の木工芸の特徹の一つはその種類の多さと技法の豊富さであります。箪笥や箱類などの家具調度品から茶道具類、美術工芸品に至るまで多様な種類があり、それらは組む、彫る、曲げる、挽くという幅広い技法を駆使して作られています。板を組んで箱をつくる、鑿を使って欄間を彫りあげる、または刳って木鉢などをつくる、薄板を曲げて桶などをつくる、そして轆轤を挽いて椀や盆をつくるというように、さまざまな技法をうまく使い分けることによって、同じ素材を使っても全く表情の異なる木工品ができあがります。


 
木肌の美しき

 
次に、その木肌の美しさをあげることができます。木理の美しさを生かした製品づくりは日本の木工芸の特色でありますが、とくに京の木工芸は自然が永い年月をかけてつくりあげた天然の趣向をあますところなく引き出し、かつ洗練された上品な工芸品に仕上げている点に特徴があります。杢目や柾目の木理の面白さを生かすために一つ一つ形が違ったりするように、決まった形に木を当てはめていくのではなく、木に従って形を作り上げていくといった方法は、世界でも類を見ないものと言えるでしよう。


 
日本の気候風土に合った機能性

 
第三番目は、それぞれの樹木の性質に合致する工芸品をつくりあげてきたことにあります。例えば適度な温湿調節を行って中のものの品質を保つ働きをする桐の箪笥や箱、また香りがよく腐りにくい檜の性質を生かした風呂桶、繊維が縒れにくい杉は曲げものにというように適材適所が徹底しています。また、長く使ってもひずみがでないように、何年もの間、水の中につけて貯木をしたり、時には風に、時には雨に、晒して自然のままに乾燥さすというように、素材を整えることに大変な労力をかけるという点も、近年の合板や化粧板でつくられる工業製品とは全く異なります


 
洗練された意匠

 
そして、京の木工芸を他地方のものと分ける最大の特徴は、なんといってもその洗練されたデザイン性であります。干有余年もの長い年月にわたって都がおかれてきた京都では、その歴史的風土、文物の土壌が上品で繊細、しかも芯のある意匠を培いました。この地下水脈のような意匠(デザイン)こそ「京の木工芸」の特色とも言えるでしよう。こうしたことから、海外でも美術工芸品としての高い評価を得ています。
 樹は生きものです。同じ有機物・生きものとしての人間の心と暖かく流れ合うものがあります。それが温もりと言われているものでしょう。「和名抄」には木霊(木魂)という言葉が出てきます。樹木に精霊が宿っているという意味で、山川草木に畏敬と愛情とを感じていた上古の人々の姿がそこにあります。


 
木の工芸の流れ

 
上古、日本は豊かな森林資源に恵まれ、約2000種の樹木におおわれていました。縄文時代には石器工具を使ったであうう、杓子、刳舟、櫂、本棚(彫物、刳物)が出土しています。弥生時代に、鉄器工具が用いられるようになり、木器が普及し、農具、織具、燈火器(挽物)そして指物の芽生えとも言える腰掛と台が出土しました。また、木の心材を除いた一定の木取りも工夫され、用途に応じた材の使い方もなされていたようです。
 我々が今、目にすることとが出来る古代の木工芸は正倉院(奈良時代)の御物でしよう。彫物、指物、曲物、挽物のそれぞれの技法で造られた木工品は粋であり基本とも言えます。これは優秀な技術を持った渡来人の影響を大き<受けています。また白木を生かした加飾、木地螺細、木画(木象嵌)、金銀絵、彩絵などなど、この時代の木工芸が木材の素地の美しさ(木肌の色調、木理の変化)をいかに大切にしたかがうかがわれます。
 都が京に移り、官営の木工寮・筥陶司・造寺司、等から、公家、寺社の私営の作物所へ工人達も移り、そこに守られ、育てられ、また全包各地からも技法や知識を持った工人達が京に集り、その中で人の交流、技術の融合を見、独自の「京の木工芸」が確立されていきました。
 安土、桃山期になると武家文化そして何より茶道の「簡素な美」が、木本来の美しさを生かした木工品に大きな勉強の場を与え、江戸期の豊かな町人文化は「京の木工芸」を育てるに十分な時と場所を提供しました。
 生活様式の激変を受け、厳しい時代ですが、手造りの持つ人肌の温もり、樹木本来が内包している人への安息の効果が見直されつつある現在、京の指物師、彫物師、木地師、曲物師定ちは、干有余年の歴史のうちに脈々と流れている地下水のような工芸文化を守り育てるべく努力を続けています。それがまた、新しい伝統となってゆくのでしよう。


 
彫もの−彫師

 
木彫刻は縄文時代、人が刃物(石器工具)を使い始めた時に簡単な匙や杓子、盆など生活用具として作られた事に始まります。此の様に古い歴史を持っている木彫刻が桃山時代になると一気に花ひらき社寺建設、書院造り等の建築構成の一部として重要視されます。特に豪壮な城郭、殿邸、社寺造営の木彫技術の進歩は素晴らしい発展を遂げてきました。
 社寺彫刻に於ては五寸〜一尺以上の厚材を用い様々な園柄、例えば龍、鳳凰等の禽獣の他に水、植物など必要に応じて描き、彫り方に於ては、丸彫り線彫り高肉彫り簿肉彫り透し彫り等があり、又欧り仕上と言う刃の跡を生かした彫り万があります。此の彫り方は古い社寺彫刻の修復の際にしばしば見受ける事が出来、此れほ彫りが高い所に上がると物の勢いを一層力強<感じる事が出来ます。
 社寺彫とは別に置物、邸欄間、調度彫刻及び根付の彫り等があります。根付は江戸時代に職人の遊び心で彫った物が何時の間にか大名や町人等の間で好まれた工芸品でありましたが後に美術品として国内外の収集家の手元に数多<集められています。置物等の立体的な彫刻に関しては角材の前後面、左石側面、上下面に作品の下絵を描き彫り始めます。彫り進むに従い描いた下絵は消えて行きますが、頭の中で、その作品の形を描きながら彫
ると言う難しさがあります。此れには長年の経験、そして物を立体的に観察する目とデッサンが必要です。欄間等では様々な木材を使用した象嵌欄間、又今迄の図柄とは違った抽象的な図柄も多<、ホテルの和室等に多<用いられています。木の材質に従って刀の刃も角度を替えて研がなければなりません。硬質材で有れば少し鈍角に、軟質材でほ鋭角に研<必要があります。何れにせよ最後には彫り師の技そして彫刻刀の冴で立派な作品が出来上がります。


 挽きもの−木地師(轆轤師)


 
挽ものって? 茶葉や珈琲豆を挽<こと?少し想い浮かべて下さい。例えば椀、盆皿、茶筒、そして小芥子や独楽。そう、轆轤を使って木材を削ってつ<られた円状や丸状のものです。その工人を、木地師、轆轤師、また挽物師と呼びます。
 さて、轆轤細工の木器はいつ頃からあるのでしよう。古<は弥生時代前期といわれています(高杯、燈火具の出土品から)。古文書や現存物として確実なのは、奈良時代の百万塔(木製の三重小塔)であり、正倉院の御物として合子、経筒があります。これらは当時の挽物の技術が驚く程に高かった証左です。この頃、「轆轤師」という語が独立して文献に出てきています。仕事は主として什器や寺院装厳具であり、室町時代からは茶の湯の棗や貴人台等を手がけ、現代は伝統的なモノを主として、新しい分野のモノも創っています。
 とこうで、木地師の最も特徹的なことは、「火造り」です。即ち刃物(轆轤鉋)も自分で造ります。鋼を熱し、用途(材の種類や工作物の形)に見合った形状に刃先を曲げ、焼入れをして研ぎ自分用の刃物にします。材も無垢材を使うために原木(丸太)を大割、小割、荒挽と自然のままに10年20年30年と乾燥させてから使います。材の種類も豊富で、こ<軟材の桐から朴、桧、桜、桑、欅そして樫の木。また、紫檀、黒檀、白檀、沈香等、唐木や香木それに埋れ木まで多岐に渡ります。
 このように主たる技法は発祥の頃より変わらずに、古来のモノから斬新なモノまで造り、材は原木を、さらに刃物まで自分製、そして惟喬親王の神話的伝説(いわゆる貴種伝説)。また、かつて漂泊の工人達と言われた木地師たち。少しミステリアスと想いませんか。


 指もの−指物師

 
板と板、板と棒、棒と棒を組み、指し合わせる仕事の事をいい、他に「物差し」を使って仕事をする故ともいわれています。
 「指物」の言葉は江戸期から使われだしましたが、弥生時代に指物と見做せる、板に脚部を差し込んだ台と腰掛けが出土しています。奈良時代には、正倉院に御物として厨子、箱、櫃、机類に目を見張るような木工品が残されています。この時代の渡来人め優れた技術が後の京の木工芸の源になっています。
 都が京都に移り、公家や寺院の庇護を受け意匠も直線のものから曲線曲面を多用するように大きく変化し、「京もの」と言われる木工品が生まれていきました。鎌倉、室町時代には公家や社寺に属していた大工職から、曲物、たが物、彫物、指物などが専門化していきました、又この頃、侘び寂びの美を見い出した茶道の確立により、指物も大変影響を受け、木本来の持ち味を活かした指物の投法、材を見る目を要求されるようになりました。調度品にも唐(韓)櫃や和櫃から今日みる箪笥の形が出現しはじめています。
 独自の町衆文化が開花した江戸期(京ではその意識が殊に高かった)には箪笥、棚物類、机、火鉢、硯箱、煙草盆等々そして前述した茶道具類と華やかな指物の世界が現出しました。
 さて、刃物道具ですが室町前期までは釶(やりがんな)鑿(のみ)横挽鋸で仕事を行い、江戸初期より縦挽の鋸や台鉋が急速に普及し、面取鉋、反台、丸鉋等々の木工具の隆盛をみます。なお今ある合わせ鉋(二枚鉋)は明治の頃と言われています。曲矩(かねじゃく)は日本独自の計測用具です。



 曲もの−曲物師


 
檜、杉、槇などの丸太や挽割材の木口に鉈や鋸で薄板材を作り、長さ、幅をととのえて、その材の両端部分を薄く削りそぎ(マチそぎと言う)湯に浸して材を柔軟にして円形の型にそわせたり、又はマチばさみで両端を固定して形をととのえて乾燥させます。
 その後に両端のマチ部分に接着剤を塗布して乾燥させます。桜皮で作った「とじ皮」でとじ合せ、国定した事を確かめた後、次に底板を作り「木ごろし」したのちにはめ込み、そしてフタの部分も同様にして制作します。
 水指、片口、八寸、丸三宝、盆類、飯器等があり、今は和物の照明器具にも生かされ、「はんなり」した灯りをかもしだしています。

<<京都木工芸協同組合制作冊子参照>>